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  • 2014.09.26 Friday

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    由利嘉へ

    • 2013.10.29 Tuesday
    • 02:36
    http://blog.livedoor.jp/yokosuka2455/ ←暴露!

    中1の時、函館の小学校に1年いて、

    横須賀に戻ってきた。子供ながらに猛烈なストレスを抱えて帰ってきた。長いいじめにあってた。
    学校では男子どもの無視、暴言、その頃、TVでは、
    どこかの学校でいじめが理由で自殺した生徒のニュースで騒いでた、わりには、
    うちのクラスには無意味でなんの効果もない。

    そんな嫌な思いをして家に帰れば、母親は妊娠中、(そう身ごもって、
    私と妹の世話も大変だからと、函館の母の実家に引っ越してきたんだ。父親は船乗り。)

    妹はやっぱし、同じくいじめにあって登校拒否。
    妊娠中の母を見たら、言えない。無理して、何もないふりをして学校へ通い続けた。
    あいにく、男子にはのけもの扱いされ、私に触れると、ばい菌を触ったように騒ぎ立てる。
    女子は、普通に、遊ぼうと、誘ってきてくれ、その子の家に行ったり、普通な態度。

    小学6年の最後のころ、次は中学に、またこいつら(男子)と一緒なのかと思うと、ストレスだった。
    母親がちょうど出産を迎えた。もう函館には用はない、横須賀の社宅に戻ることになった。

    私は、この嫌な学校生活かた解放され、ほんとに嬉しかった。
    (いじめに堪え、無理して学校へ行くと多大なストレスで、あとから反動がでるのか)

    中学1年、地元での二度目の学校生活。ただ函館行ってから心労で勉強に身が入らない。
    勉強に身が入らないのは戻ってきても同じだった。
    ただいじめられないように、無意識か強い子と親しくなっていた。
    父親がやーさんで、ある意味強く、誰もその子に対抗できないような空気。

    それから、中学2年になって、同級生だけではなく、先輩、後輩、と交流する。
    中学3年では、他校の子らと親しくなり、的屋のバイトをしてみたり。

    夜、うちの裏に安浦公園、交番、モスバーガーも立ち並んでて、その辺りで見知らぬ男の人に声をかけられた。
    それがたっちゃん(片●、茨城出身、当時21歳)。かなりイケメンだ。

    「モスバーガーの裏に住んでるから遊びにおいで」と。
    翌日、友達みんなで押しかけて、たまり場状態になった。
    たっちゃんと、おやじ、でんちゃん、ひさおくん、(本名はどうでもいいね)
    の4人が生活していた。名義は、たっちゃんの自称、彼女「かくたり●」。

    たっちゃんは、ひざ下までもんもんが。
    他も、途中まで。おやじは小指がない。

    夜になると暴走族つぶし、
    日中は、オヤジのアニーのひでさんが、人が足りないからとサラってきた族の人が連れて行かれ働かされる。
    そして、それぞれに彼女ができる、おやじとひー、でんちゃんとたまさん、ひさおくんとあや、

    たっちゃんは、私の方が好きだった。たっちゃんのほうはひーの姉のやっこさんに片思いしてる。
    毎晩たっちゃんに呼ばれ、海岸へ話をしてる、やっこさんの話ばかり。歳はたっちゃんに近い

    そしてオヤジが近くのアパートへ引っ越す。皆、遊びに行く。また知らない人たちが来る。朝●さん、牛●、・・・


    <<15歳、妊娠、>>

    中学を卒業してしばらく経ったとき。

    横須賀中央、居酒屋、つぼ八、で親友のまみとアルバイトをしていた。

    よく飲みに、オヤジとじじいが来るようになった。(共にニックネーム)

    オヤジは当時、22〜23歳(私より8歳上くらい)、私が中学のときからの知り合い、後輩の彼氏ってとこかな。

    じじい(これが由利嘉の父親、こと斉藤、旧姓が大貝、私より6歳上 昭和43年1月生まれ)

    かなりイケメン、だがオヤジの知り合いは、「類は類を呼ぶ」やっぱりか。

    交際というか、交流ともいうのか、ヤツと会うときは、兄貴とか、相談役のドラえもん、組長。

    横須賀中央の平楽というパチンコの側にケーキ屋さんがあった。
    そこでウェイターとしてたまたま親友がバイトをしていた。そこの店長が組長とよく話をしてる間柄。

    そこが会合場所というか、いつも誰かかしらいるようなところで、そこでお茶飲むようになってから、無言のお付き合い。

    テレホンカードが出始めて、ポケベルも、珍しい、目立つ、頃。

    いつだったか、雨の日に、そこから近い、じじいが寝泊まりしてる家にいった。

    ドラえもん(前●さん)が主。夜遅くならないと帰ってこない。
    そこで見たものは、ちょうちんや、稲穂のマークの名刺・・・

    いつだったか、じじい、ドラえもん、武◎さん、三●さん、水●さん?(忘れた)

    ドラえもん家の近くにあるフランス料理「ポートベリー」にいったときのこと、
    生れて初めてのフランス料理、マナーが分からなく、箸で食べてたような。

    そして、妊娠から、16歳で出産、入籍。17歳で離婚、じじいの実家を出て、

    うちの実家は横須賀から塩釜に移転。私も生まれたばかりの由利嘉を連れて移り住む。

    そして、週刊誌で、寮、託児所付きの職を見つけたので、すぐ面接をしに由利嘉を連れて、渋谷に行った。
    託児所は越谷にしかないということで、越谷に移り住む。子供がいるにしてもまだ17歳の未成年だ。

    昼はレンタルビデオ屋さん、夜は託児所で勤務するように。

    18歳ころ、地元恋しくて、横須賀に部屋を借り、住む。由利嘉は1歳前後。

    結果、たまり場のようになっていたが、中学の時からの知り合いばかりで、まだ遊び足りなかった
    私と同じ境遇になった子持ちの友達も、旦那は、北海道出身(じじいの知り合い)






     

    八戸母子殺人事件 相反する精神鑑定の間での判決 2009/04/15

    • 2012.02.11 Saturday
    • 22:05
     母親と弟妹の3人を殺害した当時 18歳の長男について検察側、弁護側、双方が精神鑑定を行った。しかし、結果はまったく相反するものとなった。弁護側は、長男の精神には障害があり、刑事 責任能力はないとし、検察側は責任能力ありと主張。判決は検察の求刑どおり無期懲役となった。
    日本 事件 NA_テーマ2

    八戸母子殺人事件 相反する精神鑑定の間での判決 | ワイドショーリポーター高村智庸さん
    ワイドショーリポーター高村智庸さん
     通常の裁判は記者や傍聴人が着席してから、裁判官が入廷し、許可された場合は2分間、廷内撮影が行われる。その後、被告が入廷して、裁判が始まる。被告は証言席に立ち、裁判長から氏名、生年月日、住所、職業などを聞かれて、検察官の起訴状朗読から審理が始まる。

     しかし、その裁判は裁判官と被告が席に着いてから、記者や傍聴人を入れた。被告の顔を傍聴人に見せないためだ。人定質問も紙を見せて「これで、間違いな いですね」と氏名や住所などを被告に確認するだけで、傍聴人には分からないようにしていた。被告は黒地に白と茶色の格子柄のシャツに薄茶色のズボン。伸び た髪を後ろで束ねていた。傍聴席からは後ろ姿しか見えなかった。

    事件
     2008年1月9日夜、青森県八戸市のアパートが燃えているという119番通報があった。風呂場が中心に燃え、消火後の部屋から3人の遺体が発見された。その部屋に住む親子3人、母親(当時43)二男(当時15)長女(当時13)だった。

     3人は明らかに殺害された痕跡があり、同居していた長男(当時18)の姿が見えなかった。出火から7時間半後の10日午前6時ころ、長男はアパートから 2.5キロ程離れた八戸駅前でうろついているところを警察官に見つかり、サバイバルナイフを振り回して抵抗したものの取り押さえられた。サバイバルナイフ など8本を持っていて、銃刀法違反の現行犯逮捕だった。
     
     この長男が3人を殺害して、放火したことを認めたという。司法解剖の結果、3人とも首に刺し傷や切り傷があり、頸動脈を切られたことによる失血死だった。

     供述によると、長男は母親が飲むビールに睡眠薬を入れておいた。睡眠薬は長男が通院していた病院から処方されたものだった。ビールを飲んだ母親が居間で 寝てしまうと、長男は隣の子供部屋でテレビを見ていた長女の傍に行き、刃渡り25センチのサバイバルナイフで一気に長女の首を横に切った。長女は悲鳴をあ げる間もなく絶命したと思われる。次に長男は居間に行き、寝ていた母親の首を切った。その瞬間、母親は目を覚まし、ナイフから身を守ろうとしたのだろう、 両腕には深い防御創が残っていたという。それから1時間後、二男が帰宅して、玄関に入ったところを切りつけた。二男も抵抗したとみられ、傍にあった冷蔵庫 には血が飛び、左腕には防御創が残されていたという。

     長男は殺害した3人を居間の布団の上に「川の字」に並べた。その後、母親の腹部を十文字に切り裂いた。それは母親のお腹の中に「心」を探したのだとい う。しかし、そんなものはある筈もなく、その跡にオルゴール付きの人形を詰めた。長男はその後、風呂場の浴槽に小説や雑誌や自らノートに書いていたという 小説などを入れ、灯油をかけて火をつけた。犯行動機が小説を真似たものだと思われるのがいやだったから燃やしたと話している。炎が30センチ程になるのを 確認してから零下の深夜、鍵をかけて部屋を出た。八戸駅に向かったのは、電車に乗ってどこかに行きたかったということらしい。

     長男は、銃刀法違反の容疑で逮捕され、殺人、死体損壊、現住建造物放火容疑で再逮捕、送検された。青森地検は長男が肉親3人を殺害し、母親の腹部を切り裂いて人形を詰め込んでいたことなどから、刑事責任能力が問えるかを判断するため、精神鑑定を請求した。

     青森市内の医療施設で2ヶ月半の鑑定の結果は性格に極端な偏りがある「人格障害」ではあるが、刑事責任能力に問題はないというものだった。検察側は刑事 処分相当という意見書を付けて家庭裁判所に送致した。この鑑定結果を不服として、弁護側は青森家庭裁判所に再度の精神鑑定の申請をした。

     5月から7月にかけて行われた鑑定では、長男には精神疾患があり、犯行時は心神喪失状態で刑事責任能力はなかった、という逆の鑑定結果が出された。両鑑 定とも時間がかかるが、治療が必要という点では一致しているものの、長男の処遇を決める上で、この相反する鑑定結果を家庭裁判所はどのように判断するのか 注目された。

     青森家庭裁判所は事件の背景には「何らかの契機で飛躍的に高まった殺人衝動が家族に向けられ、空想上で描いていた殺人や死体損壊の行為を実現させるに 至った」と、指摘して「資質上の問題を抱えていたが、完全責任能力があった」という理由で検察官送致(逆送)を決定した。これによって長男は成人と同じ刑 事裁判で裁かれることになった。

    父親の話
     事件から1ヶ月程した2月初旬、青森県八戸市に、一人残された父親を訪ねた。父親は肝臓と糖尿を患っていた。「小さい時からの積み重ね。突発的に起きた 事件ではない。重なって、我慢して、狂ってああなったのか。狂わなくちゃできないと思う」父親は静かな口調で事件の背景を話し始めた。

     父親が37才の時に長男が生まれた。「欲しくて出来た子だから、可愛がった。でも極端に甘やかしてはいない」という。幼いころは友達も多く、よく自宅に 遊びに来ていたという。父親は民族派の政治団体に所属し、八戸支部長を務めていた。これまでに3回逮捕され、服役しているという。

     最初は長男が小学校2年生のころ、恐喝未遂事件で逮捕された。そのことで、長男の周囲から友達が遠ざかり、いじめられ、孤立してゆくことになったとい う。母親は生活を支えるために、スナックでアルバイトするようになった。売り上げを上げるためなのか、元々酒が好きだったのか。翌日には何も覚えていない ほど深酒をして、朝食の用意もしなくなってしまったという。そして、子供たちを育てられないと言い出し、3人の子供を児童養護施設に預けることにしたとい う。

     拘置所の中でそのことを聞いた父親は「夜働きながら子供を育てている人は沢山いるのに、なんで施設なんかに入れるんだ」と言ったものの、もう、決めたこ とだからと言われ、聞き入れてもらえなかったという。「どうする事も出来ず、一晩中泣きましたよ」元はと言えば両親に責任がある訳だが、小学2年の子と5 才の弟と3才の妹の幼い3人にとって、親に捨てられるようにして、施設に入らなければならない境遇は耐え難いものがあったと思う。

     長男はこの施設にいる間にいじめにあったという。友達も寄り付かなくなり、疎外され、孤立し、不登校にもなった長男。この頃から長男の中で何かが狂い始 めてしまったのだろうか。父親は離婚を決意した。生活保護を受けることで、酒浸りのスナック勤めを辞めて、母親として子供3人を守ってほしいという苦肉の 策だった。

     しかし状況はまったく変わらず、別の男性と交際するようにもなってしまったという。3人の子供たちは長男が小学校5年時まで施設に入っていた。その後、 父親の実家で両親と一緒に生活するようになるのだが、わずか3カ月で、また父親が事件を起こして逮捕され、母親は実家を出て、アパートに転居した。しかし 相変わらず母親は酒浸りで、交際していた男性をアパートの部屋に招き入れるような生活になってしまったという。

     3回目の逮捕は長男が15才の時だった。中学を卒業し、引きこもりのような状態だった長男とアパートで一緒に暮らし始め、父親は露天商の仕事を手伝わせることにした。夏祭りなどを回りながらお好み焼きを販売していたという。

     始めのうちは無愛想で、客に「いらっしゃませ」「ありがとうございます」も言えなかった長男。それまでは髪は長くして、爪は伸び放題、父親から客商売な んだから短くしろと言われれば素直に従ったという。仕事を教えられ、少しずつ接客に慣れてくると、明るさを取り戻し、生き生きしているように感じられ、 「これでもう、大丈夫だ」と思ったという。

     ところが、ある朝。アパートに警察官が突然やって来て、家宅捜索され、そのまま恐喝未遂容疑で逮捕されたという。茫然と立ちつくす長男の目の前での逮捕 だった。「こんなことになったのも、9割は自分のせいです。自分が普通の生活をしていれば、こんなことはなかった。自分のせいなんです」涙を浮かべながら 語った。

    初公判
     3月9日の初公判で長男は起訴事実について「記憶はないが、結果的に肯定します」と答えた。検察側は「家族がおかしくなったのは、父親が事件を繰り返し て家庭を守らなかったこと。そんなことがなければ、施設に入れられることもなかった。そして、母親が昼間から酒を飲んで醜態を晒し、他の男が自宅に出入り することもなかった。そんな男に弟や妹が懐くこともなかった」と、家族への憎悪が犯行の背景にあったと述べた。

     そして、人格障害ではあるが、犯行直前まで、一定の範囲内では通常の社会生活を送っていて、幻覚や妄想に支配されず、意識障害もなかったことから責任能力がある、というものだった。

     弁護側は、長男は現在も特定不能の精神障害にあって、犯行時の記憶は断片的で、幻覚や妄想に支配されていたこと。だから、動機が不明で、善悪の判断能力 や行動をコントロールできずに、無意識に実行してしまった。死体損壊については猟奇的で通常の精神状態では実行できず、責任能力はない。まず精神疾患の治 療が必要であり、そのためには、家庭裁判所に移送して少年審判をやり直し、医療少年院送致とすべきだというものだった。

     長男は取り調べの段階では検察側の冒頭陳述にあるような供述をしていた。しかし、被告人質問では殺害状況について聞かれると「覚えていない」「分からな い」を繰り返し、3人の殺害について「気づいた時には血を流して倒れていた」と断片的にしか記憶がないという答えだった。動機についても「分からない。父 親や母親に憎悪は持っていない」と述べて、調書を作成した段階の供述を否定した。

     調書には詳しく供述しているのになぜなのかと聞かれると「検察官に遠まわしに誘導されたり、作られたものだ」署名して判を押したのはその通りだったから ではないのかという点についても「違うと思ったけれど、面倒だから署名しました」と述べて、取り調べから早く解放されたかったからというような証言だっ た。

     長男によると、小学6年生の頃から、通りすがりの人を殺すような衝動、妄想のようなものがあったという。長男には月の存在が影響していて、新月の頃にな ると気持ちを抑えきれないようになってしまうという。それを「普通の時期」「激情の時期」「冷酷の時期」という言葉で表現した。犯行時は一番ひどい「冷 酷」を飛び越える状況だったという。そしてまた、犯行の理由については、「処理能力の限界を超えた。自分は道徳的ストッパーが壊れている。壊れたままでは 何をやらかすか分からなくなる」この長男独自の精神世界については、恐らく、誰も理解できないのではないかと思う。

     公判では犯行現場の部屋は大きなボードに見取り図が描かれ、細かく説明された。大型のモニター画面には犯行直後の部屋の様子が映し出された。しかし、3人の遺体写真は大型モニターが消されて、裁判官、検察官、弁護人にしか見えないように配慮されていた。

     3月9日の初公判から18日の結審まで6回の集中審理で、被告人質問、2人の精神鑑定医と父親が証言した。父親は当初、「死刑にしてほしい。骨は俺が拾 う」と話していたが、裁判では、事件の原因について「自分の服役と、母親の酒癖、男関係。とにかく追い込んだのは私たち。悪かったと謝りたい」そして、今 後については「私は更生できると信じている。そのためには自分の人生をすべて捧げる」健康状態が良くない身体でも、長男を見守ってゆく決意を語った。

    相反する精神鑑定結果のあいだで
     長男は最後の被告人質問で、被害者3人への気持ちを聞かれると「うわべだけの謝罪はしたくない、今は無理だが、病気を治して心の底から謝りたい」と答え た。弁護人によれば、長男は自分がどのような精神状態なのか分からないまま、不安だったという。それが裁判の中で精神疾患だと診断した精神科医の証言に よって、理解してもらえたという安心感ができたという。

     長男は検察側の言うように人格異常で、あれ程の残酷な事件を引き起こしてしまったのか。あるいは弁護側の、特定不能の精神障害によって引き起こされた動機不明の事件だったのか。今でも、私には分からない。

     検察側と弁護側の2つ精神鑑定の結果は相反する内容になっているが、どちらも、長男には「治療が必要」という点では一致している。しかし、27日の判決は検察側の求刑通り無期懲役だった。長男に刑罰を科することによって「解決」してしまって良かったのだろうか・・・。http://janjan.voicejapan.org/column/0904/0904140565/1.php

    履歴書 志望動機の書き方

    • 2011.11.29 Tuesday
    • 00:17
     http://www.chance.jobs/siboudouki/arubaito.html


    引きこもり

    • 2011.11.26 Saturday
    • 00:05
     引きもり相談センター

    http://members2.jcom.home.ne.jp/hajimeru/sub10.html




    引きこもりから脱出するサイト

    http://noukara.com/

    法科学鑑定研究所  DNA親子関係

    • 2011.10.06 Thursday
    • 20:31
    (親子鑑定の方法、費用などをご説明いたします) 科学的・生物学的手法によってのみ、親子の鑑定が可能になります。 数ある鑑定方法の中で、最も信頼できる鑑定方法がDNA鑑定です。

     DNA親子関係
    http://www.e-kantei.org/DNA/008.htm

    衝撃ニュース ブログ

    • 2011.09.23 Friday
    • 11:30

    shifthenkanのBlogな日々

    告発!非人間的な中国人は赤ん坊を食べる


     http://blog.livedoor.jp/shifthenkan/archives/27373702.html

    「暫定基準値」以下なら安全か?武田教授

    • 2011.09.10 Saturday
    • 21:04
     日本には食品の放射線汚染に関する「基準値」がなく、福島事故直後に決まった「暫定基準値」だけしかありません。そして、なぜそれが「暫定」なのか、「暫定」というのはいつまでなのか、また「基準値を決める作業は進んでいるのか」について不明な状態にあります。

    その中で、産地や食品流通の人たちの中には「暫定基準値を守っているのだから安全だ」、「それを危険と言っても俺たちはどうするのだ」という声が聞こえます。

    で も、「食品の暫定基準値」を決めた政府は、同じく「福島の児童生徒に暫定被曝量1年20ミリシーベルト」を決めた政府と同じで、1年20ミリシーベルトは 1年に胸のレントゲン400回に相当しますから、たとえ「暫定被曝量」を政府が決めたと言っても、それで「安全」と断言できる人は少ないでしょう。

    1年100ミリシーベルト以下は安全か危険かの判断はできないというのは、専門家の一致した意見で、その結果、日本の法律では1年1ミリシーベルトと決まっているのです。

    ・・・・・・・・・

    と ころで、水の基準値は(いずれも1リットルあたりのベクレル)で、ドイツ0.5、WHO10、原発の排水基準40から90なのに対して、日本はセシウムが 200、ヨウ素が300で合計500です。つまりドイツの1000倍、WHOの50倍が日本の暫定基準です。日本の水の暫定基準値は原発の排水基準より高 いのです!!

    一方、野菜の基準値はウクライナ40、アメリカ170、日本セシウム500、ヨウ素2000で合計2500とこれもやはり日本が突出しています。

    なぜ、日本の水や野菜の暫定基準値は他国の50倍程度と目立って高いのでしょうか? またいつまで経ったら「暫定」が無くなるのでしょうか? それには事故直後に開かれた暫定基準値の決定会議の様子と、そこで検討された「論理」を見てみることが必要です。

    ・・・・・・・・・

    食 品や飲み水は、外部被曝とともに被曝者が合計して1年1ミリシーベルトにしなければなりません。従って、福島県浜通、中通のように空間線量が0.2マイク ロシーベルト(毎時)を超えるようなところでは、空間被曝だけで1.0ミリシーベルトを超えるので、食品の基準値は0(ゼロ)が上限です。従って「福島の 人の健康を守る」には他県から汚染されていない野菜を運ぶのが政府の役割です。

    東京やその他の多くの地域のように空間線量が0.08マイクロシーベルト(毎時)のようなところでは、外部被曝だけで0.7ミリシーベルトになりますから、ホコリなどの呼吸で入る量が0.1ミリとしても、水0.1、食材0.1ぐらいしか許されません。

    一方、水、食材からの内部被曝は核種や臓器によって異なりますが、毎日、接触する水や食品は成人男子で約1キロずつですから、次の式が成立します。

    年間の内部被曝量(ミリシーベルト)=1キロあたりの食材のベクレル÷100

    従って、水も食材も1キロあたり10ベクレルが限度になります。

    もし政府が日本人の健康を考えたら、暫定基準値は10ベクレルになり、現在の50分の1から250分の1に下げなければなりません。それではなぜ、このように高い暫定基準値が定められているのでしょうか? 委員会の議論から見ると、次のような論理が使われています。

    1) 縦割り行政だから食品の内部被曝だけを考えている(外部とホコリで0.8だから食品は本来0.2しか許されないのに、それを1.0としているから、これで5倍)、

    2) 食品の汚染基準はもともと「汚染されたものが少数」という「通常時」を想定している。したがって、{外国から来る特定の食材が被曝している場合0.1をか ける、国内が相当汚染されている場合0.3をかける}という考え方がある。(3倍違う。通常時の規則を非常時に使っている)、
    3) (これが決定的だが)水や食材の汚染を「健康を考えて設定する」と「国民が水や野菜をとれなくなる」ということになるので、健康のことを考えず、供給能力(除染もせず、輸入努力もしない)から決めた方がよい(現実にそのような発言あり)、

    ということで、基本的にたとえばWHOの10倍程度にして、さらに「供給できること」という奇妙な考えが入っているので、最終的には生産者に都合のよいように暫定基準値をあげるという決定方法をとっています。

    ・・・・・・・・・

    最 後の3)は原子力行政にはいつもあることで「原子力発電は必要だから安全だ」、「電力が足りなくなるから子供は被曝してもよい」という日本人の逆転の発想 を使っています。誰でもわかるように原子力発電は必要だということと、安全だということは全く別の論理で決めなければなりませんが、それが混同する(混同 させる)ところに日本独特の思考方法があります。

    また、アメリカの野菜の基準値が170と高いのはアメリカが汚染されていないので、たま に輸入される食材に接するチャンスが少ないので0.1をかけています。だから、アメリカの実質の基準は17ベクレルです。従って、諸外国の数値はほとんど の食材が汚染されている現在の日本では上限で、それ以上高くする論理はありません。

    ・・・・・・・・・【結論】・・・・・・・・・

    現 在の日本の食材、水に関する暫定基準値は日本の法律に定められた1年1ミリシーベルトと無関係な恣意的な数値であり、健康を守る数値とは関係がない。従っ て、暫定基準値を下回っているからと言って安全ではない。あくまで水や食材にベクレル表示を行い、10から20ベクレルを限界にしなければならない。

    (外部被曝がなければ、もう少し高い値もあり得る。つまり福島の子供達には汚染されていない食材が必要なことも示している。)
    http://takedanet.com/2011/09/post_4f85.html

    お気に名言 TWitter

    • 2011.09.10 Saturday
    • 20:49
     震災・台風被害からの復興は党利党略でなく真剣に取り組んでほしいものです
    党派をこえて頑張ってほしいです


    被災地は震災により実りを喜ぶ秋にはなりそうもなく、天からは「根気」を問われている

    震災から明日で半年。本当に色々なことがありましたが、すべてが昨日のことのようです


    想像を絶する悲劇と混乱に満ちた戦後最大の国難の中で、私たちはたくさんのことを学んだはず。みんなで前進して、この国をもう一度元気にしようぜ


    日本の円はどんどん、円高に

    • 2011.08.14 Sunday
    • 17:22
     

    これからの話(5) 日本の力は圧倒的

    武田邦彦 (中部大学)

    武田邦彦 プロフィール

    日本の円はどんどん、円高になっています。円高が困るという人がおられますので、先日、私は日本で10本の指に入るという経済学の権威の方とじっくりお話をしました。

    私 が勉強し、認識してきた経済や金融の確認と、円高について検討しました。現在の経済学は、アダムスミス以来、まだ生産側、消費側、そして経済安定のための 国家の関与など、マクロ的と言えるのですが、国家や社会全体のことしか解明されていないことを確認しました。またグローバリゼーションの問題、銀行規制の 問題などまだまだ不十分な点もありました。

    そして、現在のこととしては、円高はとても良いことである(当然ですが)ことも確認しました。 ただグローバリゼーションの中で価格の調整が従来の経済学や金融が予想する範囲を超えていること、銀行が産業に活動資金を供給するという本来の目的を忘れ ていることなど大きな問題が内包されています。

    経済や金融と行っても、所詮、物流のことですから、お金というもののもつ特殊な交換要素を 見間違わなければ特別な関係は無いのです。「需要供給関係」というと言葉が難しいのですが、単に「みんなが欲しがればものが無くなり、値段があがる」とい うあたり前のことでもあります。

    為替はわかり難いのですが、1ドル360円の時代から見ると、1ドル80円というと、円の価値が4倍、つ まり日本とアメリカの関係では、日本の価値が4倍に上がったことを意味しています。短期的に一部の企業では苦しい状態が来ますが、日本人は全体としては赤 飯を炊くような状態です。

    なぜ、そうなったかということもその経済学の方と話をしてきましたが、結論は私と同じでした。つまり「日本の力 は世界で圧倒的に強い。特に勤勉と生産、誠実だ」ということでした。是非、この力を子供たちの社会にも受け継ぎ、私たちの世代より一段と幸福になって欲し いと思います。(音声ファイルつき)
    転載元ーhttp://news.livedoor.com/article/detail/5784299/

    • 2011.08.06 Saturday
    • 22:33
    転載元ーhttp://www.jlzda.gr.jp/pdf/qa2008_2.pdf
     鉛あれこれQ&A
    協同製作 全国鉛管鉛板工業協同組合
    日本鉱業協会 鉛亜鉛需要開発センター
    Q1.鉛は古くからある金属だとは知っていますが、大体いつごろから使われているのですか?
    A → ページ2
    Q2.鉛の物理的性質はどうなっているのですか?
    A → ページ2
    Q3.鉛の有用性と使用事例について教えていただけませんか?
    A → ページ2
    Q4.鉛の需要量はどれ位あるのですか?
    A → ページ11
    Q5.鉛のリサイクルは現在どのようになっているのですか?
    A → ページ12
    Q6. 鉛及びその化合物の環境等の基準値を教えてほしいのですが?
    A → ページ13
    Q7.最後に、最近新聞紙上等で鉛の毒性が叫ばれていますが、鉛ってそんなに怖い物なのですか?
    A → ページ13
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    Q1.鉛は古くからある金属だとは知っていますが、大体いつごろから使われているのですか?
    A1.鉛は自然銅や自然金に続いて、最も古くから人類が利用した金属のひとつです。紀元前5000
    年〜7000年に陶器に酸化鉛が使用され、紀元前3000年頃にはエジプトで魚網用に鉛錘が
    使用されていたようです。ローマ時代に入り水道用に鉛管が使用され始め、紀元後1400年に
    なると活字印刷が発明され、鉛合金の活字が使用されだしました。
    日本においては1500年代においては弾丸用としての利用があり、江戸時代、仙台藩では貨幣
    に使用され江戸中期になると屋根瓦として使用されるようになりました。明治に入り水道用鉛管
    が使用され始め、日本の近代化に伴い鉛バッテリー、耐食材料、電極材料、放射線防護材、遮音
    材など用途開発がおこなわれていきました。
    Q2.鉛の物理的性質はどうなっているのですか?
    A2.・鉛の原子番号は82、原子量は207.21です。
    ・鉛の密度は20℃のとき11.34g/cm3です。
    鉛より密度が大きいのは金・白金・タンタル・タングステン等貴金属や希少金属等に限られます。
    鉄の約1.4倍の密度があります。
    ・鉛の融点は327℃です。
    鉛は融点が低く容易に溶かすことができます。
    ・鉛の電気比抵抗は20.65μΩ・cm(20℃)です。
    鉄の約2.2倍、銅の約13倍、チタンの約0.3倍です。
    Q3.鉛の有用性と使用事例について教えていただけませんか?
    A3.鉛を特性別に見てみますと次のような用途例があります。
    (例1) 鉛バッテリー
    (例2) 放射線吸収の用途
    (例3) 放射線の化学的作用を利用した改質、生物学的作用を利用した殺菌
    (例4) 機械的振動に対する減衰材としてビル等の免震装置
    (例5) 音響の方面での遮音材
    (例6) 耐食性が極めて優れているため屋根材
    (例7) 装飾
    (例8) 電解銅箔製造用鉛電極
    (例9) ウエイト
    これらを次に示します。
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    (例1) 鉛バッテリー
    鉛が電気エネルギーを化学エネルギーとして蓄電する現象に着目し、それを応用した物です。
    廉価で高い信頼性、しかもリサイクル可能な鉛バッテリーは、自動車をはじめ電気通信、非常
    用電源、フォークリフトなどに利用され、近代社会には欠くことのできない強固な基盤を築い
    ています。
    (例2)放射線吸収の用途
    鉛の放射線吸収:上記のように鉛は原子番号が高く、密度が大きいという特徴から放射線の
    吸収材料として広く利用されています。さらに放射線によって放射化されず安定であるという
    ことも、この用途の材料として大きい利点です。その性質を利用した身近なものに病院のレント
    ゲン室やCT スキャン室の遮蔽板、またPET 用ホットセルがあります。
    原子力発電所をはじめ大学や研究所の放射線装置の遮蔽材としても広く使われ、安全確保に寄
    与しています。その例としてエックス線非破壊検査装置、Ge(ゲルマニウム)検出器があります。
    これらを次にご紹介します。
    病院のレントゲン室やCTスキャン室:
    壁、ドア、及び天井は鉛の遮蔽板が使用されています。
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    PET用ホットセル:
    (PETとは陽電子放射断層撮影の事で、ポジトロン・エミッション・トモグラフィの略です)
    PETは癌の早期発見等に使われます。放射性(RI)医薬品を体内に投与すると癌細胞にこ
    れが多く集まり、放出する放射線を検知する検査方法です。
    このセルの中で放射性(RI)医薬品を合成したり、希釈したり、分注したりします。内部
    に遮蔽材として鉛が使用されています。
    エックス線非破壊検査装置:
    溶接線部の健全性や製品の欠陥箇所を破壊せずにエックス線照射により検査することが出来
    ます。内部に遮蔽材として鉛が使用されています。
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    Ge(ゲルマニウム)検出器:
    試料の微量放射線を測定する装置です。自然界にある放射線をさえぎる遮蔽体に鉛が使用され
    ています。写真の装置は試料を自動的に交換するロボットが組み込まれています。
    (例3) 放射線の化学的作用を利用した改質、生物学的作用を利用した殺菌
    電子線照射装置があります。
    タイヤ・ゴムシート等に電子線照射すると耐熱性、硬度などを向上させ、高品質のさまざま
    な高品質の工業製品を生み出します。また、食品の殺菌や医療用具の滅菌にも電子線は有効なの
    です。遮蔽用として中に鉛が入っています。
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    (例4) 機械的振動に対する減衰材としてビル等の免震装置
    免震装置のひとつに鉛免震ダンパーがあります。
    この写真の様な鉛製ダンパーが建築物の基礎に取り付けられ、機械的振動に対する減衰材と
    してビル等の免震装置に 用いられています。震度6の福岡県西方沖地震でも福岡市内13棟の
    免震ビルはほとんど無傷、書棚の転倒被害も無かったと聞いています。
    (例5) 音響の方面での遮音材
    写真の様な防音室で、鉛は遮音効果を抜群に発揮します。
    音響の方面では、吸音能力も高く遮音材としてオペラホールやホテルの壁、最近ではマンシ
    ョンの配水管などに使われています
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    (例6) 耐食性が極めて優れているため屋根材
    鉛は耐食性が極めて優れ、展延性がよく非常に加工性のよい金属です。
    イギリスを始めとするヨーロッパでは多くの家屋で屋根材として鉛が使用されています。
    日本国内では屋根材に鉛を使用している例は少ないですが、次にご紹介します。
    九州国際交流センターの屋根
    金沢城の屋根全景 その細部
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    (例7) 装飾
    東京の銀座にCHANTOという居酒屋があります。
    店内のカウンター、トイレのドア・手洗い場、照明器具カバー、いたるところに次の写真で
    お見せします様に鉛の板が貼ってあります。
    シックで大人の雰囲気をかもし出すのに鉛は案外と効果があるようです。
    カウンターに鉛が張ってあります。
    トイレのドアにも鉛が張ってあります。
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    トイレの手洗い場も鉛です。
    大きな照明器具カバーも鉛です。
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    (例8)電解銅箔製造用鉛電極(アノード)
    電解銅箔はパソコン・携帯電話・テレビ等のプリント基板に無くてはならない材料です。鉛
    はその電解銅箔を作るための電極(アノード)として使われています。
    (例9) ウエイト
    密度が大きく、融点が低く、加工性がよく、しかも安価である鉛の特徴から建設機材用ウエイト・
    医療機器用バランスウエイト・搬送用カウンターバランスウエイト・タイヤのバランサー・ヨッ
    トのキール・スポーツ用品のバランサー・リハビリ用ウエイト等、様々な分野で利用されていま
    す。
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    Q4.鉛の需要量はどれ位あるのですか?
    A4.徐々に減少傾向にはありますが年間20〜30 万トン程度の鉛が消費されています。国内の用途別
    消費量は次表のようになっています。
    電気鉛・再生鉛の国内需要量
    出所:経済産業省 調査統計部
    鉄鋼・非鉄金属製品統計年報
    2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年
    合計 267,620 259,434 223,594 190,726 313,599
    蓄電池 201,148 194,713 160,678 135,829 264,855
    無機薬品 20,134 20,609 25,861 19,408 11,865
    再生 9,871 8,584 6,647 8,054 11,659
    鉛管板 3,300 3,349 3,058 3,594 2,591
    はんだ・銅合金塊 9,168 8,644 8,727 7,229 7,258
    その他 9,332 12,551 10,701 7,930 7,492
    輸出 14,667 10,984 7,922 8,682 7,879
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    Q5.鉛のリサイクルは現在どのようになっているのですか?
    A5.鉛はリサイクルの優等生です。
    下記のグラフからもわかるように平成13年度において鉛の国内需要量と鉛屑回収量は同量と
    なっています。
    たとえば、車に使用されている鉛バッテリーは平成6 年10 月(社)日本蓄電池工業会(現在、
    (社)電池工業会)により発表された「鉛リサイクルプログラム」により、ここ数年間は100%
    近くの回収率が維持されておりリサイクルシステムの優等生と言われています。
    私ども、鉛遮音板・遮蔽板の生産販売に関わっているものとして、資源有効利用、リサイクルの
    観点からも、その特性や経済性から見ても、また、有用な金属である鉛を一般環境に不用意に拡
    散させないためにも、遮音・遮蔽板の廃棄物からの鉛リサイクルに積極的に取り組んでいます。
    鉛リサイクルについてのお願い
    鉛に異物が付着していないこと(端材の鉛と他の材料は分別をお願いいたします。)
    運賃、処理費用はご負担願います。
    製造会社指定の場所へ持ち込み願います。
    とにかく、何でも気軽にご相談ください。
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    Q6. 鉛及びその化合物の環境等の基準値を教えてほしいのですが?
    A6 鉛及びその化合物については環境及び、排出の面から次のように決められています。
    ・環境基本法では次のようになっています。
    水質汚濁に係わる環境基準について
    0.01mg/リットル 以下
    土壌の汚染に係わる環境基準について
    0.01mg/リットル 以下
    ・大気汚染防止法では工場および事業所のばい煙の排出基準は次のように定められています。
    10〜30mg/Nm3 (施設ごとの排出基準となっています。)
    ・水質汚濁防止法では次の排出水の基準が定められています。
    0.1mg/リットル (許容限度)
    ・水道法に基づく水質基準では次の基準が定められています。
    0.01mg/リットル 以下
    Q7.最後に、最近新聞紙上等で鉛の毒性が叫ばれていますが、鉛ってそんなに怖い物なのですか?
    A7.鉛の毒性や鉛中毒の症状については古い時代から知られており、19世紀の半ばに鉛の製錬、加
    工に従事していた者に鉛中毒が多く発生し、死亡率も高かったことが記録されています。その主
    な原因は浮遊する鉛粉や鉛化合物が口や鼻からはいり、ある許容限界以上の鉛が体内に摂取され
    たためです。
    その後、鉛製錬所をはじめ、私ども鉛の加工工場においても職場環境の改善、衛生管理の徹底等
    の諸対策を講じてきました。現在では、鉛を直接取り扱っている製錬所や私どもの工場において
    さえ鉛中毒の発生は皆無であります。鉛地金や金属鉛の加工品に触れただけで鉛中毒になる心配は
    全くありません。
    鉛は取り扱いを間違えず、その性質をうまく利用すれば我々の生活を便利に、そして豊かにして
    くれる物なのです。
    下記より多く「引用」しました。
    中島喜教:鉛―社会を支えるすぐれもの、
    2005 年6 月20 日産業新聞、コラム産業春秋欄
    鉛の有用性についてご理解いただけたでしょうか。
    これで、「鉛あれこれQ&A」を終わらせていただきます。ありがとうございました。
    (2008.2
    転載元ーhttp://www.jlzda.gr.jp/pdf/qa2008_2.pdf

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